加江田塾子どもミイラ事件
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「加江田塾」の記事における「加江田塾子どもミイラ事件」の解説
2000年1月20日、宮崎県警捜査一課、宮崎南警察署の家宅捜索でミイラ化した2遺体が発見された。1体は重い腎臓病のネフローゼ症候群を患った男児で1997年に塾で預かるが、1998年1月13日に肺水腫による呼吸不全で死亡(6歳)。もう1体は1999年2月13日に塾生が共同生活で出産した呼吸障害もあった重度の未熟児(体重約1500g)の男児。「復活させるためにお清めを続けていた」と、塾側は主張したが、塾代表の東と塾幹部の女が逮捕され、死体遺棄罪、保護責任者遺棄致死罪で起訴された。死亡当時6歳の男児の両親も保護責任者遺棄の疑いで書類送検されていたが、マインドコントロール下にあったと判断され、起訴猶予処分となった。 2000年5月1日、宮崎地方裁判所で行われた初公判で東らは自分たちに保護責任はなく、遺体を保護していたこと、祈祷類似行為ではなく自分たちが信じるところの治療行為を行っていたと無罪を主張した。同年6月15日までに保護責任者遺棄致死の疑いで書類送検されていた、死亡した乳児の母親が不起訴となった。 公判中に死亡した男児の母親は東代表らを許せないと訴えた。死亡した乳児の母親は自分に責任があり、東代表や塾幹部の女性の無罪を切望していると答えた。2001年12月4日の公判では検察側が、死体領得罪を訴因として追加した。 2002年3月26日、宮崎地方裁判所で被告2名に対して懲役7年(求刑懲役8年)の判決が言い渡された。2002年12月19日、福岡高等裁判所宮崎支部で控訴審判決があり、両被告の控訴は棄却された。その後両被告は上告したが、2003年10月1日までに、最高裁第一小法廷(泉德治裁判長)で上告を棄却する決定がなされた。
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