前進基地での戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/03 19:12 UTC 版)
「ミドルボギーの戦い」の記事における「前進基地での戦闘」の解説
南軍の前進基地は、ドラグーン・トレイルがミドルボギー川を渡る地点に大変近かった。ウィレッツ少佐の前衛隊は2月12日夜にそこからあまり離れていない所に宿営し、攻撃直前の準備を行った。ウィレッツ隊は翌朝午前7時に大砲の一斉射撃と共に攻撃を始めた。カンザス第14騎兵隊が即座に突撃し、南軍を混乱の渦に陥れた。 南軍ネイル大尉の生き延びた隊員はボギー貯蔵所まで後退し、戦場に負傷兵を置き放しにした。チカソー大隊の残りがコクラン近くに留まり、チカソーの知事ウィンチェスター・コルバートの家族がポントトクからティショミンゴまで移動するのを援護した。その夜ウォシタ砦からボギー貯蔵所の作戦本部に戻っていたクーパー将軍は、テキサスに援軍を要請する伝言を送った。戦場に送られた南軍の埋葬用特殊部隊は、置いて行かれた負傷兵が喉を切られて死んでいるのを見つけた。フィリップス大佐は自部隊が、南軍兵48名を殺し、捕虜は取らなかったと報告した。クーパー准将は、南軍の戦死者が11名のみと報告していた。
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