制憲前史
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新たな独立国家ジョージアは、最初の民主的な選挙によりズヴィアド・ガムサフルディア大統領を選出したが、しかし1977年ソ連憲法を基礎として制定された1978年ジョージア・ソビエト社会主義共和国憲法の下で、国家はその機能を果たしていた。共産党体制崩壊後の最初の議会は、憲法条文を大幅に改正せねばならなかった。1992年2月、ジョージア国民議会(1990年に選出された暫定議会)は、1921年2月21日ジョージア憲法を、ジョージアの効力ある憲法であると正式に認定した。この宣言は、当時実効支配していた軍事評議会の議員3名の内、ジャバ・イオセリアニ(英語版)とテンギズ・キトヴァニ(英語版)の2名の署名により、その適法性が認められた。1993年2月、エドゥアルド・シェワルナゼは1921年憲法の全面改正を指示した。膨大な章からなる憲法改正は受け入れられなかった。シェワルナゼは1993年12月、新憲法制定のための制憲委員会を設立することを提唱した。
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