初演をめぐる騒ぎ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:17 UTC 版)
「交響曲第13番 (ショスタコーヴィチ)」の記事における「初演をめぐる騒ぎ」の解説
1962年12月18日、モスクワ音楽院大ホールにて、キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、ロシア共和国合唱団&グネーシン音楽大学合唱団、バス独唱ヴィタリー・グロマツキー。翌々日の20日にも再演された。 反体制的な歌詞の内容から、当局の執拗ないやがらせが続き、バス独唱者が次々と交代し、リハーサルに党役人が立ち会ったりした。初演前日には、フルシチョフとエフトシェンコ、ショスタコーヴィッチとで口論が行われ、ついには初演当日、指揮者のコンドラシンにまで出演をキャンセルするように圧力が加えられた。当然、関係者はこれらをはねつけたが、土壇場で3人目の独唱者のヴィクトル・ネチパイロ(ロシア語版)がキャンセル、すぐさまグロマツキーが代役をかって出るなど、初演をめぐって状況は二転三転した。こうして、多くの警官隊が包囲する物々しい雰囲気で初演が行われた。 当初ショスタコーヴィチはエフゲニー・ムラヴィンスキーに指揮を依頼したが、断られたためにコンドラシンが指揮することになった(このときムラヴィンスキーの妻が不治の病に冒されており、ムラヴィンスキー自身も憔悴しきっており、とても初演を担当する余裕が無かったことや、政治から距離を置いていたムラヴィンスキーがこの曲の政治的メッセージを嫌ったことが理由とされている)。 第1楽章が終わった時から大ホールは客席から拍手と歓声に包まれ、演奏が終了すると、舞台にはショスタコーヴィッチとエフトシェンコが「ブラ・ボー・ショス・タ・コー・ヴィッチ! ブラ・ボー・エフ・ト・シェン・コ!」のリズムカルな掛け声と万雷の拍手に迎えられていた。ショスタコーヴィッチの友人でピアニストのマリア・ユージナは「交響曲第13番で彼は再びわれらの仲間になった。」と称賛した。
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