初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり
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評 言 |
青畝の第10句集「西湖」の句。平成4年に飯島晴子が、第6句集『儚々(ぼうぼう)』にこの句を前書きに、〈拝みたき卒寿のふぐり春の風〉の一句を載せている。晴子は65歳で寡婦となり、この年、71歳であった。 平成4年の作とすれば、明治32年生れの青畝の93歳の正月詠ということになる。この平成4年の12月22日に、青邨は亡くなっている。原田浜人、高浜虚子に師事し、「ホトトギス」の4Sと称され、「客観写生」の信奉者の自己描写の一句として取り上げた。 老人の句の多い中、この二句について、「雷魚」63号に「言いたい放題」という楽しい雑談があった。 亀田虎童子:最近ではネ、青畝も〈初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり〉こうゆう句になるとネ。年寄りの句とか、くだくだ言うことは何もなくなっちゃう。 小宅容義:ノバスフグリ・・・か。(笑) 虎童子:俳諧ってなもんだよ。俳諧がない癖に老いだって言うから可笑しくなっちゃう・・・。だからネ、それを受けてさ、飯島晴子がね、〈拝みたき卒寿のふぐり春の風〉。 八田木枯:オガミタキ・・・ネ。(笑) 虎童子:あれは傑作だったよ。だから、老いには老いの俳句、あるんだよ、ほんとに、ウン。 木枯・容義:ほんとだ、ほんとだ。 引用が多くなってしまったが、老いの俳句にも、年期が入れば、この様な、おおらかで年寄りの人生の流れに乗った、諧謔のある俳句が出来るのだ。そして、晴子の返しの一句によって、楽しい交歓の場が醸し出される。 |
評 者 |
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備 考 |
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