初出走 - 1983年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 06:25 UTC 版)
「メジロアンタレス」の記事における「初出走 - 1983年」の解説
1981年10月に初出走を行い、12月に5戦目で初勝利を挙げた。1982年は芝中距離を中心に出走し2勝を挙げたが、準オープンとなってからは4着が最高であり、同年12月にディセンバーステークスで7着に敗れたのを最後に障害競走に転じた。 1983年1月6日に中山競馬場で障害初出走を行い、同月29日に3戦目で初勝利。そのまま連闘で東京障害特別(春)に出走した。レースは1番人気の1番人気のモンタアローがスタートで後脚をぶつけて行き脚がつかず、2番人気のホウヨウスペンサーは向こう正面の障害で転倒する波乱の展開となり、メジロアンタレスは早め先頭に立ったオキノサキガケに3秒の大差をつけられたものの、直線追い込んだヤクモファントムを抑えて2着となった。その後、膝骨膜炎のため3ヶ月の休養をはさみ、5月の復帰戦となった東京競馬場の障害オープンでオープン初勝利を挙げた。それからもオープンで好走を続け、秋の京都大障害では先行したフリートマウントの2着となった。しかし12月初めの阪神障害ステークス(秋)では障害無敗のブルキング、ロングローラーから2秒以上遅れた4着に終わり、初めて出走した暮れの中山大障害では大竹柵で転倒し、競走を中止した。
※この「初出走 - 1983年」の解説は、「メジロアンタレス」の解説の一部です。
「初出走 - 1983年」を含む「メジロアンタレス」の記事については、「メジロアンタレス」の概要を参照ください。
- 初出走 - 1983年のページへのリンク