初出走から1984年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:36 UTC 版)
「ブルーフラール」の記事における「初出走から1984年まで」の解説
1982年9月に阪神競馬場で初出走を行い、1着のカツラギエースから3.6秒差の13着に敗れたが、3戦目で初勝利を挙げた。その後は芝短距離を中心に9戦したが4着が最高であり、最後の平地出走となった1983年10月の400万以下競走では21頭立ての最下位に沈んだ。その後栗東の橋口厩舎から美浦の大久保勝之厩舎に転厩。翌年より障害競走に転向した。 1984年3月に中山競馬場の障害未勝利で障害戦初出走。14頭立ての最低人気だったが、レースではスガノキングに半馬身差で勝利。単勝273倍の高配当となった。続く障害400万以下でも10頭立ての9番人気ながら2着に1馬身半の差をつけて連勝した。オープン入り後4戦は、2度最下位となるなど振るわず、続いて出走した秋の東京障害特別は中段後方から直線やや伸びて4着。中山大障害は中段につけたが、最後伸びを欠いて優勝したライバコウハクから2.6秒差の5着となった。
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