分離した背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/01 15:42 UTC 版)
「名古屋市立前山小学校」の記事における「分離した背景」の解説
上記の出来事によって名東区は名古屋の東の玄関口として急速に発達し、1975年(昭和50年)頃から前山学区の人口は急増した。1986年度(昭和61年度)には児童数が過去最大の1034人に達し、学校はパンク寸前であった。そのため、学校当局・PTA・学区連絡協議会の三位一体で分校建設委員会が設置され、PTAが学区民80%を超える分校建設要望署名を集め、これを名古屋市教育委員会へ提出した。その結果、1988年3月名古屋市立牧の原小学校が前山小から分離した(牧の原小学校の開校は1988年4月1日)。 前山小学校は名古屋市の東部丘陵地に位置し、近くに牧の池があり自然豊かである。1954年(昭和29年)以前から前山学区に住んでいる住民もいるが、前山学区の大部分は1971年(昭和46年)~1984年(昭和59年)(特に1977年(昭和52年)~1984年)に高針南部土地区画整理組合によって行われた高針・牧の里地区の宅地造成によって作られた。前山小学校が開設された1981年4月当時は県営住宅はあったものの、学校の周囲はほとんど空き地であった。そのため前山学区民のほとんどは1975年以降の転入者である。 前山学区はベッドタウン名東区らしく1977年以降に建設された集合住宅が多く、全国的な範囲での転出入がある。前山小学校の児童は名古屋市立牧の池中学校に進学する。
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