分離の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/09 21:37 UTC 版)
合原村のうち、栗原地区(旧・栗原村)は比較的山間部なのに対し、室原地区(旧・室原村)は比較的平野部である。室原地区は水田地帯であり、農業用水や排水施設などで養老郡小畑村とのつながりが深かったという。 合原村は当初、垂井町との合併が決定していたが、養老郡とのつながりが深い室原地区の住民が反発。このため合原村は栗原地区と室原地区に分裂してしまう。最終的には話し合いにより分立となるが、この問題により同時期(1954年(昭和29年)9月10日)に垂井町と合併した村より約2ヶ月遅れ(同年12月1日)での垂井町への編入となった。 合原村の栗原地区と室原地区の対立は、一説によると、戦時中の米供出の負担の割合で、栗原地区と室原地区の間で対立が発生したのが遠因という。
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