出自・アテナイに移るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 07:01 UTC 版)
「アスパシア」の記事における「出自・アテナイに移るまで」の解説
イオニア地方のミレトス(現トルコ・アイディン州)に生まれる。この時代にアスパシアほどの高い教養を身に付けられるのは裕福な家の者に限られていた。そのため彼女が裕福な家の生まれなのは明らかだが、父親の名前がアクシオコスであることを除けば家族に関してはほとんど分かっていない。アスパシアは戦争捕虜から奴隷になったカリア人だと紹介する古代の資料もあるが、現在それは誤りであるとの見方が強い。 アスパシアがアテナイへ移り住んだ経緯は不明だが、4世紀に製作された墓石からアクシオコスとアスパシウスについての記述のある碑文が発見されると、歴史家ピーター・K・ビックネルがアスパシア家族の背景およびアテナイとの関係の解明に乗り出した。彼の説を辿ると、アスパシアとスカンボニダエ(Scambonidae)家のアルキビアデス2世(かの有名なアルキビアデスの祖父にあたる人物)に何らかの接点があった可能性が浮かび上がる。というのも、アルキビアデス2世は紀元前460年に陶片追放によってアテナイを追われてミレトスで亡命していた可能性があるのだ。祖父アルキビアデスが亡命してミレトスへ行き、そこでアクシオコス家の娘と結婚したのではないかとビックネルは推察している。どうやらアルキビアデスは妻とその妹のアスパシアを連れてアテナイへ戻ったらしく、ビックネルは夫妻の間にできた第一子の名前がアクシオコス(かの有名なアルキビアデスのおじにあたる)であり、第二子がアスパシオスであるという説を提唱している。ペリクレスはアルキビアデス一家と親密な関係にあり、アルキビアデス一家を介してアスパシアと出会ったのではないかといった主張もビックネルはしている。
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