内田本の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 01:32 UTC 版)
内田本は、広重の伝記を多角的に検証し、かつ作品についても、ほぼ自身のコレクションを基に網羅的に取り上げた、これまでにない研究書であり、1970年(昭和45年)に鈴木重三の『広重』が出るまでの40年間、広重研究の最重要日本語文献とされた。丹波恒夫は内田本を手放しで称賛したのに対し、林美一と鈴木重三、永田生慈は、内田に敬意を示しつつも、テキストを批判的に読み取り、その結果、広重の家系を記した「安藤家由緒書」(1866年・慶応2年)に表れる「安藤鉄蔵」が、広重であると判明したり、五十三次制作時に、広重の上洛を否定する説(東海道五十三次_(浮世絵)#取材の有無)など、新知見を見出すきっかけとなった。 内田本に先行して、1914年(大正3年)に『浮世絵と風景画』(以下、烏水本とする。)を出版した小島烏水は、内田が烏水の論を、あたかも自分で考えたかのように著作に取り入れ、逆に、烏水本発行以降に彼の説が覆された箇所に限って、名指しで批判したことを、内田本の該当箇所を引用し、彼の態度を非難した。内田の烏水への態度には、林と鈴木も、烏水側に同調している。
※この「内田本の評価」の解説は、「内田実」の解説の一部です。
「内田本の評価」を含む「内田実」の記事については、「内田実」の概要を参照ください。
- 内田本の評価のページへのリンク