内田正信と鹿沼藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:06 UTC 版)
内田氏は、遠江国城飼郡内田荘に起源を持ち、古くは今川氏、のちに徳川家康に仕えた家である。徳川家光に奥小姓として仕えていた内田正信は、寛永16年(1639年)に下総国・常陸国で8200石の加増を受け、1万石の大名になった。ただし、正信は慶安2年(1649年)に下野国都賀郡・安蘇郡内で5000石の加増を受け、下野国鹿沼に居所を移した(鹿沼藩)。なお、内田正信は慶安4年(1651年)の家光の病死に際して殉死した一人である。 鹿沼藩2代藩主内田正衆のもと、小見川では用水堰の整備などが行われた。元禄元年(1688年)には小見川陣屋(小見川字館之内、現在の小見川中央小学校付近の敷地)が築かれている。
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