兵泳ぎ永久に祖国は波の先
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多くの尊い命が犠牲になった太平洋戦争の終結から七十年がたった。「戦後七十年」の昨年は、そうした戦後の歴史を振り返るとともに、戦後の復興の歩みが新聞にテレビに多く取り上げられた。 当時、長野県の田舎に住んでいた私が、戦争について鮮明に覚えていることは、頭上を飛ぶB二十九に手を振って叱られたこと、電灯に黒っぽい布をかぶせて薄暗くしていたこと、そして八月十五日の玉音放送を家族全員がラジオの前に正座して聞いたことなどである。ピーピーガーガーと雑音が入っていて、子供だった私には、天皇陛下が何を言われているのか分からないうちに終わった。暑い日で蟬がうるさく鳴いていた。 池田澄子の俳句には、戦争に関する句がいくつかある。 前へススメ前へススミテ還らざる 戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ 泉あり子にピカドンを説明す 掲句もその一つである。撃沈された戦艦から、あるいは追いつめられた母艦から、海に飛び込んだのか、兵士は荒波に翻弄されながら命がけで泳いでいる。必死に泳ぐその先には「祖国」である日本があるのだと信じて。 その祖国は、あまりにも遠く、多くの兵士たちは日本に帰ることを願いつつ命を落としていった。 昭和十一年生まれの作者の父親も戦争で命を落とした一人である。 |
評 者 |
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備 考 |
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