兵役後の年月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/31 06:06 UTC 版)
「キャシー・ウィリアムズ」の記事における「兵役後の年月」の解説
キャシー・ウィリアムズは、ニューメキシコ州フォート・ユニオン(Fort Union)に料理人として働きに行き、のちにプエブロ_(コロラド州)に移った。ウィリアムズは結婚したが、夫が彼女の金(かね)とひとつなぎのウマを盗んだとき、それは破滅的に終わった。ウィリアムズは夫を逮捕させた。彼女はつぎにトリニダード_(コロラド州)に移り、そこで彼女は女性裁縫師として暮らしを立てた。彼女はまた、賄い付きの下宿屋を所有していたかもしれない。ウィリアムズの話がおおやけになるのは、このころであった。セントルイスからの記者が、兵役に服したアフリカ系アメリカ人女性のうわさを聞き、彼女にインタヴューしに来た。彼女の人生と兵役の物語は、1876年1月2日に『The St. Louis Daily Times』に掲載された。 1889年後半あるいは1890年前半に、キャシー・ウィリアムズは、地元の病院にはいり、そこにしばらくとどまり、1891年6月に、兵役にもとづく障害年金を申請した。彼女の病気と障害の性質は、不明である。女性兵士に年金を支給する前例は、あった。1816年のデボラ・サンプソン(Deborah Sampson)、アンナ・マリア・レーン(Anna Maria Lane)、そしてメアリー・ヘーズ・マコーリー(Mary Hayes McCauley)(モリー・ピッチャーとしてのほうがよく知られる)は、アメリカ独立戦争の兵役で年金を支給されていた。
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