全体の構図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 00:18 UTC 版)
ヨブとサタンは「どこから来たのか」という共通する問いかけに対して、ヨブは「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。」と主張するのに対して、サタンは「地上を巡回しておりました。」と異なる主張をするように、自分と創造主との関係の認識に相違がある。これが38章以降の主の応答の中で活きており、ヨブは自分自身が創造主に与えられた客体に過ぎないことを理解する。 ヨブは自分の出生を呪い、苦痛のために元の塵に戻りたいと考えているが、エリファズは、塵から災いは出てこないとヨブの主張を否定して、地上的な願望のために神との和解を求めている。三人の友人はよく地上の世界観を理解してヨブに説いているが、世界の境遇は人間の善悪の帰結であると説明して、神から与えられた人生の中に罪を見いだそうとする(塵に過ぎない人間が、自分を我がものにする不幸と罪がある)。 エリフはヨブに対して言葉は激しいが、ヨブと世界観は共有し、へりくだり待つように伝え、憐れみ深い人を苦しめないとヨブに伝え、主を待ち望む。 ヨブの主張である「不遇も含めて、創造主から人生全てが与えられていること」と、三人の友人が神から与えられる人生を自分本位に善悪を判断している傾向が浮かび上がる形で、創造主の応答が外挿されており、最終的に、主がヨブは正しいと三人の友人に説明する。 財産を倍にされた後、ヨブは塵にかえり、ヨブの主張のとおり、全てが主へささげられる。
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