入植から無人島化まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 00:35 UTC 版)
戦後の1951年(昭和26年)からは緊急開拓事業による農業開拓団が入植を開始。ピーク時の1959年(昭和34年)には113世帯528人が島に住み、サトウキビ栽培や酪農を営んでいた。 しかし、水源に乏しく、農業に適さない土地であることに加え、害虫や鹿の農作物被害が増加し生活が困窮したため、島民は徐々に島を離れていった。1980年(昭和55年)3月に最後の島民が島外に移住し、西之表市立馬毛島小・中学校も最後の卒業生を送り出して閉校、以降無人島となった。これにより、北海道の渡島大島に次いで日本で2番目に面積が大きい無人島となっていた。
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