児ノ口社とは? わかりやすく解説

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児ノ口社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 13:43 UTC 版)

児ノ口社

拝殿から本殿を望む
所在地 愛知県豊田市久保町3丁目27-15
位置 北緯35度05分22.13秒 東経137度09分39.18秒 / 北緯35.0894806度 東経137.1608833度 / 35.0894806; 137.1608833 (児ノ口社)座標: 北緯35度05分22.13秒 東経137度09分39.18秒 / 北緯35.0894806度 東経137.1608833度 / 35.0894806; 137.1608833 (児ノ口社)
主祭神 落別王
社格 無格社
創建 不詳
別名 児ノ口神社・児口神社
例祭 4月13日
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鳥居

児ノ口社(ちごのくちしゃ)は、愛知県豊田市にある神社旧社格無格社[1]

別の表記として「児ノ口神社」「児口神社」とも。

祭神

  • 落別王 (おちわけのみこ)
    第11代垂仁天皇皇子。文書によっては「祖別命」「於知別命」などとも記される。

祭神の落別王は、『古事記』に「小月之山君・三川之衣君の祖」と記載されているが[2]、この「三川之衣君(みかわのころものきみ)」は三河国賀茂郡挙母郷(現・愛知県豊田市)を拠点とした豪族とされる[3]

関連して、『古事記』では同じく垂仁天皇皇子の大中津日子命の子孫として「許呂母之別(ころものわけ)」の記載も見える[2]

歴史

社伝では、この地に落別王の墓とされる前方後円墳があり、その上に祀ったという[4]。ただし、宮内庁による公式の治定はされていない。

明治9年(1876年)3月据置公許となり、明治40年(1907年)に周辺の区画整理により現位置に移転した[4]。現在の神社等級は15等級[4]

境内

神社は児ノ口公園内に鎮座しており、公園との境界は事実上ない。社殿として、拝殿の前に小さい本殿が立っている。

また境内には、当地に落別王の墓があったという伝承に基づき、「衣之君落別王命陵」の石碑が建てられている。そのほか、樹高25メートルのムクノキが豊田市の名木に指定されている。

摂末社

  • 弁財天社
  • 津島神社
  • 秋葉神社

現地情報

所在地

交通アクセス

周辺

  • 児ノ口公園

脚注

  1. ^ 社格がないという意味ではなく、「無格社」という社格
  2. ^ a b 『古事記』垂仁天皇記。
  3. ^ 本居宣長『古事記伝』二十四之巻(『古事記伝 第3』(日本名著刊行会、1930年、国立国会図書館デジタルコレクション)248コマ)。
  4. ^ a b c 境内説明板。

参考文献

  • 現地説明書(拝殿内に記載)



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