俵屋旅館(京都府)
俵屋旅館
名称: | 俵屋旅館 |
ふりがな: | たわらやりょかん |
登録番号: | 26 - 0048 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造2階建、瓦葺、建築面積283㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治初期 |
代表都道府県: | 京都府 |
所在地: | 京都府京都市中京区麸屋町通姉小路上る中白山町280 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | |
施工者: | |
解説文: | 京都に現存する最古の旅館として知られる。禁門の変で焼失の後に再建された木造2階建の建物。玄関は麸屋町通りに面し,敷地の中には複数の中庭・外庭が全客室から見えるように配置される。洗練された数寄屋風建築に優雅さと風格が感じられる。 |
俵屋旅館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/31 08:01 UTC 版)
俵屋旅館 | |
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俵屋旅館 | |
ホテル概要 | |
正式名称 | 俵屋旅館 |
階数 | 1 - 2階 |
部屋数 | 18室 |
開業 | 1704年 |
所在地 | 京都府京都市中京区麸屋町通姉小路上る中白山町280 |
俵屋旅館(たわらやりょかん)は、京都府京都市にある旅館。1704年創業。京都に現存する最古の旅館として知られる。禁門の変で消失した後に再建された建物は、1999年に国の登録有形文化財に登録[1]。
概要
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島根県浜田市にあった呉服問屋が京都市内に支店を出し、本業の傍ら藩士たちに宿を提供するうちに、そちらのほうが本業となる[2]。
沿革
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1958年に本館増築部、1965年に新館を竣工[2]。
歴代主人
- 第11代主人 - 佐藤年。京都生まれ。学習院大学文学部卒業。俵屋旅館専務取締役を経て1965年、俵屋旅館代表取締役就任[3]。夫は写真家で京都市立芸術大学教授のアーネスト・サトウ (写真家)、子は芸術学者で同志社大学教授の佐藤守弘。
交通アクセス
逸話
- トミー・リー・ジョーンズ - 1999年に俵屋旅館が火事になったとき、偶然宿泊していた。鎮火後に「火事が消えたのならあの部屋に戻りたい」と言い出したとされる[4]。
参照
関連項目
- 吉村順三 - 昭和の増築を担当した建築家
- スティーブ・ジョブズ - 常連客[5]
- 一澤信三郎帆布
- 日本の老舗一覧
脚注
外部リンク
俵屋旅館と同じ種類の言葉
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