作風への批評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 06:00 UTC 版)
前述の通り、さいとうの作品はプロダクション形式で、それぞれのエキスパートが集まって漫画制作をしているものであったが、1990年代後半までは一部の漫画家・漫画評論家がそれをきちんと理解しなかったため、「目だけ描いている漫画家」など、いわれのない批判を受けることが多かった。 夏目房之介はさいとうの描く女体を、不特定多数がよってたかって色っぽいだろうと思う線をかき集めたために、個人の思い入れが極めて希薄である、と吾妻ひでおなどと対比して評している(ただし夏目は、さいとうが完全分業制による漫画制作というビジネススタイルを確立したことに対しては一定の評価をしている)。また、いしかわじゅんはさいとうの書き文字(擬音)を例にとり、新人であった時代からいっさい変化していないことを挙げ、進歩する意志を失った証拠として批判している。もっとも、さいとう本人は、作品が「色あせてしまう」ため「その時代の観念、その時代の常識では絶対描かない」ことを「作品を描く時に一番気をつけている」と述べており、意図的に作品を描いていることを言明している。
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