邦芳王とは? わかりやすく解説

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邦芳王

(伏見宮邦芳王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 08:39 UTC 版)

邦芳王

身位
敬称 殿下
His Imperial Highness
出生 1880年3月18日
死去 (1933-06-01) 1933年6月1日(53歳没)
東京府中野区小淀町、伏見宮別邸
埋葬 1933年6月6日
豊島岡墓地
父親 伏見宮貞愛親王
母親 利子女王
役職 貴族院議員
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邦芳王(くにかおう、1880年明治13年)3月18日 - 1933年昭和8年)6月1日)は、明治から昭和にかけての皇族伏見宮貞愛親王第2王子、母は利子女王有栖川宮幟仁親王第四王女)。

生涯

伏見宮貞愛親王には4人の子があり、うち第2王子の邦芳王と第3王子の昭徳王(1883年、1歳で薨去)が正妃利子女王との子であった。1886年明治19年)3月22日から学習院に通学した[1][2]1892年(明治25年)7月21日、学習院卒業証書授与式において初等学科卒業証書を授与された[3]

高松宮宣仁親王が後に伝え聞いた話として、少年期は陸軍幼年学校にも入学していたが、後に病を発症した[4]。邦芳王が「不治の病」を患ったことがきっかけで、昭徳王薨去以降、精神が沈みがちであった母の利子女王(1927年薨去)は「脳の病」を発症するに至った[5]

1904年明治37年)、「不治の病」[注釈 1]を理由とした請願により邦芳王は廃嫡され[6]、異母兄で華頂宮を継承していた華頂宮博恭王一家が伏見宮に復籍して後継者とされた[7]。同時に、華頂宮は博忠王が継承した[7]

1933年昭和8年)4月24日から発熱や食欲減退や倦怠感が続き肝臓癌と診断を受ける[8]。5月中旬以降衰弱し、中野区小淀町の伏見宮別邸にて6月1日午後0時25分に薨去した[8][9]。薨去と同日付で、勲一等旭日桐花大綬章を受章している[8]

同年6日、豊島岡墓地にて葬儀が営まれ、喪主は博義王が務めた[10]

薨去に際し、朝日新聞は「御幼少より御病弱のため専ら御静養遊ばされてゐた」と紹介した[11]。なお、満20歳になった1900年(明治33年)3月から[12]薨去する1933年(昭和8年)まで貴族院議員の地位にあった[注釈 2]。婚姻はしておらず、子孫も無い。

栄典

題材とした作品

小説『貴族』 - 島本久恵作。連載第九回に、発病した邦芳王と伏見宮家の描写がある[13]

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 病名・症状や発病時期は非公表である。
  2. ^ 成年の男子皇族は全員貴族院の皇族議員となったが、皇族軍人と異なり名誉職であった。邦芳王の実際の活動状況は不明であるが、一般に貴族院皇族議員の活動実態はほとんどなかった。

出典

  1. ^ 1886年(明治19年)4月2日、朝日新聞、大阪朝刊第2面「邦芳王殿下御通学」※名のふりがなは「くによし」
  2. ^ 1886年(明治19年)3月28日、読売新聞、朝刊第2面「御通学」※名のふりがなは「くによし」
  3. ^ 1892年(明治25年)7月22日、東京朝日新聞、朝刊第1面「学習院卒業証書授与式」
  4. ^ 『宣仁親王日記』昭和8年6月6日条
  5. ^ 幟仁親王行実 p.366
  6. ^ 明治37年宮内庁告示第6号(『官報』第6160号、明治37年1月16日)(NDLJP:2949471/3
  7. ^ a b 明治37年宮内庁告示第5号(『官報』第6160号、明治37年1月16日)(NDLJP:2949471/3
  8. ^ a b c d 『官報』第1925号(昭和8年6月3日)(NDLJP:2958397/6
  9. ^ 昭和8年宮内庁告示第11号(『官報』第1924号、昭和8年6月2日)(NDLJP:2958396/2
  10. ^ 『官報』第1926号(昭和8年)6月5日(NDLJP:2958398/5
  11. ^ 1933年(昭和8年)6月2日、東京朝日新聞、夕刊第1面「伏見宮邦芳王殿下 本日薨去遊ばさる」
  12. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、10頁。
  13. ^ 島本久恵「貴族<第九回>」『展望 1972年7月号』第163号、筑摩書房、1972年7月、176-177頁、doi:10.11501/1795683 



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