伊原ジム移籍後
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1983年(昭和58年)4月、目黒ジムの先輩である伊原信一(現・新日本キックボクシング協会代表)と共に、後にジャッキー・チェンが顧問を務めることとなる「伊原ジム」を立ち上げ、目黒ジムから移籍した。同年9月には伊原ジムが日本キックボクシング協会から離脱、新たに新日本キックボクシング協会を設立した。 同1983年10月22日、新日本キックボクシング協会の設立記念興行として、当時フェザー級であった元木は1階級重い新日本ライト級1位の砂田克彦(東海)と対戦。10センチ以上もの身長差をものともせず、下馬評をよそに3ラウンド2分38秒KO勝利する。 その後、伊原信一会長はじめ、元木浩二、シーザー武志、武藤英男らのトップファイターは香港へも遠征し、香港クイーンエリザベススタジアムで激闘を繰り広げた。元木は強豪人気ファイター・陳文義(香港)と対戦。僅差で敗れはしたものの、その激闘を観戦した香港ファンからの惜しみない大歓声は暫く鳴り止まなかった。 1984年(昭和59年)10月、新日本ライト級王者(初代協会期)に認定される。
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