仏教の聖地として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 16:41 UTC 版)
釈迦がこの都市でマガダ国王ビンビサーラと高弟シャーリプトラ(舎利弗)、マウドガリヤーヤナ(目犍連)の有力な帰依者を得たことが、教団発展の助力となった。 大乗仏教においても、般若経典はじめ『法華経』『無量寿経』など多くがこの都市近郊にあった霊鷲山や竹林精舎を説法の舞台としている。同様に説法の舞台となることの多い祇園精舎のあった舎衛城と並んで、仏教にとっては重要な八大聖地。 外輪山の中に「七葉窟」といわれる洞窟があり、ここで釈迦入滅後に弟子達が集まり、伝えられた教えを確認し合う第一回結集が行われたと伝える。仏典編纂の原点ともなった地。
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