今西錦司との腐れ縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 06:02 UTC 版)
回顧録『ロマンを追って八十年:佐島敬愛の人生』によれば、三高の理科甲類での同級生であった今西錦司とは腐れ縁だという。今西とは陸上部で同じなだけではなく、一年生の春休みに他の同級生二人と九州横断旅行行く仲であり、2年から3年に進級するときにはともに留年した。三高山岳部の設立は、一年浪入した西堀らと同級になったことが縁だという。なお山岳部には前出の今西・西堀のほか、高橋健治・渡邊漸・四手井綱英・桑原武夫が設立メンバーだった。 その後、大学進学では一人渡米したため縁が薄れるが、今西が民族学に近づくと、公的な面でも関係が結ばれるようになる。その結果、佐島は今西錦司の要請に応え、北部大興安嶺探検隊の隊員であった川喜田二郎・伴豊・藤田和夫の三人を昭和通商に入社させた。また西北研究所の所員は今西以下すべて昭和通商の嘱託であった。 現在、岐阜大学附属図書館今西文庫に所蔵されている『ロマンを追って八十年:佐島敬愛の人生』には、今西にあてた以下の直筆の手紙がはられている。 「夢」と「現実」の境に「小さな扉」がある。その扉を「押し開」くと限り無い「ロマンの世界」が展開する。敬愛 今西錦司様
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