今川氏の拠点としてとは? わかりやすく解説

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今川氏の拠点として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 21:17 UTC 版)

二俣城」の記事における「今川氏の拠点として」の解説

この二俣への築城は、戦国時代初頭遠江巡って今川氏斯波氏争った際に、今川氏拠点とするために城館築いたのがその初めといわれる。ただし、それは後のように山城ではなく北東平坦地にあった考えられている(現在の浜松市天竜支所周辺笹岡古城の名が残る)。その後今川氏当主義元勢力下で大きく勢力伸張、その被官松井氏当主松井宗信か)が城の位置変更天竜川を見下ろす小山築城したといわれる確実な史料はない。宗信永禄3年1560年5月桶狭間の戦い当主義元とともに討死するが、その子松井宗恒も跡を継いだ今川氏真重用され、3千貫与えられた。ところが永禄12年1569年)、今川氏甲斐武田信玄三河徳川家康挟撃にあって滅亡した松井氏武田信玄への従属の道を選ぶが、信玄敵対した徳川家康攻撃され降伏した家康二俣城鵜殿氏長城代として置き、武田勢攻撃の危険が高まると譜代家臣である中根正照城代交代させた。

※この「今川氏の拠点として」の解説は、「二俣城」の解説の一部です。
「今川氏の拠点として」を含む「二俣城」の記事については、「二俣城」の概要を参照ください。

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