笹岡古城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 21:17 UTC 版)
二俣築城以前の二俣周辺の支配の中心と考えられる城館跡の現在の呼び名である。遺構のほとんどは昭和42年(1967年)の天竜市役所(当時)建設の際に破壊され、現在は背後の本城山に土塁が残っている。市役所建設の事前発掘調査の際に山茶碗・青磁・白磁・井戸枠・柱根などの出土品が発掘され、当地が城館として機能していた可能性が高いことうかがわせた。築城時期については『遠江国風土記伝』には二俣昌長が文亀年間(1501年-1503年)に築城し、地元の民衆はこれを「古城」と呼んでいるとあるが、裏付ける史料がなく不明である。
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