人頭税石に関する伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 17:04 UTC 版)
1609年の琉球侵攻(琉球征伐)により琉球王国は薩摩藩に支配され、重税を課されることとなった。財政的に困窮した琉球王府は、1637年に先島(宮古・八重山)地方などへ厳しい人頭税を課した。人頭税の対象は15歳から50歳までとされたが、戸籍が整っていなかった宮古島では、人頭税石と同じ背の高さになると適齢に達したとみなされて課税されたと伝えられている。この伝承は、大正時代に宮古島を訪れた民俗学者・柳田國男が、著書『海南小記』に書き記したことから全国に広まり有名になった。 しかし、人頭税石を基準に課税されたことを歴史的事実と裏付ける記録はなく、このような伝承は人頭税による労苦を象徴的に示すものとして生まれ、語り継がれてきたのではないかと言われている。実際には、先島では人頭税課税の前年の1636年にはその準備のためとも言われる戸口調査が行われており、宮古島では1714年頃から正確な戸籍があったため、人頭税の対象を年齢で定めることが可能であった。同じく人頭税が課された石垣島にある石垣市立八重山博物館館長の黒島為一は、身長によって税を課せば、人々は身体の成長を阻害しようと試み、労働力の低下を招くから、そのような税制はあり得ないと論じている。
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