人文地誌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 16:47 UTC 版)
「湯ノ島」という名称は、島のすぐ前の海中から温泉が湧出していることからつけられたものだという。 江戸時代の史料では、貞享4年(1687年)の検地帳に「湯野島」とあり、湯ノ島は「嶮岨」なため検地の必要なしとなっている。島には間口3間(約5.4メートル)、奥行き1間半(約2.7メートル)の弁天堂があった。菅江真澄(1754年 - 1859年)の『率土が濱傅ひ(外が浜伝ひ)』(1788年・天明8年)や官撰地誌書『新撰陸奥国誌』(1876年・明治9年)にもこの弁天堂が記されており、島の別称として「弁天島」と呼ばれていることが記録されている。いまでも島には弁財天を祀る祠があり、浅虫温泉からも鳥居を望むことができる。 毎春、浅虫温泉で「湯ノ島カタクリ祭り」が開催される。近年はネイチャーガイドによるカタクリ鑑賞会などが組まれ、温泉から島への渡し船が運航されて上陸することができる。船着き場から弁天堂をへて、島の中央にある最高地点(標高132メートル)まで行くことができる。 夏季を中心に、浅虫温泉からは湯ノ島や裸島など、夏泊半島西海岸の景勝地をめぐる遊覧船も運航される。
※この「人文地誌」の解説は、「湯ノ島 (青森湾)」の解説の一部です。
「人文地誌」を含む「湯ノ島 (青森湾)」の記事については、「湯ノ島 (青森湾)」の概要を参照ください。
人文地誌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 06:44 UTC 版)
海のない奈良県にありながら山頂からは熊野灘を望むことができることから「沖見岳」「舟見岳」とも呼ばれ、修験道においては「無漏岳(むろだけ)」とも称された。東には北山川とその支流の葛川、西と南には十津川とその支流の芦廼瀬川が流れている。山頂直下の九合目には玉置神社があり、悪除童子の在所とされて大峯奥駈道の靡(行所)となっている。かつては別当寺の高牟婁院もあり、長く神仏混淆の修験道の行場として栄えていた。『大和名所図会』には「玉井川村西北一里にあり。峯巒森列にして、中に月見窟・中山・土室等の別峯あり」と記されている。
※この「人文地誌」の解説は、「玉置山」の解説の一部です。
「人文地誌」を含む「玉置山」の記事については、「玉置山」の概要を参照ください。
- 人文地誌のページへのリンク