人力飛行の成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 03:27 UTC 版)
1960年から翌1961年にかけてクレーマー賞獲得を目指し、RAeSから支援を受けたイギリスのサウサンプトン大学のチームによりSouthampton University Man Powered AirCraft/SUMPACが開発され、1961年11月9日にイギリス、ハンプシャーのラシャム飛行場において平地からの人間の筋力のみによる発進、離陸及び継続飛行に成功した。パイロットはグライダーの指導員であったデレク・ピジョットだった。この日の飛行距離は正確な計測は成されなかったが、パイロットの推測として50〜70ヤード(約46〜64m)程度だったと報告されている。 現在ではこれが完全な人力飛行の最初の例とされる。全く同時期に同じくRAeSから支援を受けたイギリスの名門航空機メーカー、デ・ハビランド・エアクラフト社の従業員が中心となり結成されたハットフィールド人力飛行機クラブ(Hatfiled Man Powered Aircraft Club)によりパフィン(PUFFIN:ツノメドリ)が開発され、SUMPACに遅れることわずか一週の11月16日に初飛行した。パフィンは後に改良が行われ、人力のみの離陸、飛行で初めて1/2マイル(約805m)以上の飛行に成功し、最終的に飛距離は993ヤード(約908m)に達した。1963年にパフィンは墜落、大破した。回収されたパフィンの駆動系統を使用し、再設計された機体、パフィン2は1965年に飛行に成功した。パフィンから主翼面積の拡大、翼型の変更などが行われたが、期待された性能向上は得られなかった。 但し、旋回については人力飛行機として初めて180°旋回に成功した。
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