京都府で撃墜されたアシッド・テストII
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「アシッド・テスト (航空機)」の記事における「京都府で撃墜されたアシッド・テストII」の解説
「アシッド・テスト」という愛称は、その後、第462爆撃群所属の別のB-29に付けられ、機体番号42-65336が「アシッド・テストII (Assid Test II)」と称された。 1945年6月5日午前8時ころ、神戸への空襲を終え、マリアナ諸島方面へ帰還しようとしていたアシッド・テストIIは、京都府上空で高射砲の攻撃により被弾、炎上、さらに空中分解して、当時の小倉村伊勢田付近に墜落した。墜落時にアシッド・テストIIに搭乗していた乗員は、機長ユージン・F・トーヴェンド少佐 (Maj. Eugene F. Torvend) 以下12名のうちトーヴェンド少佐を含む6名が墜落死し、他の6名はパラシュートで脱出して捕虜となったものの、そのうち5名はその後の抑留中に傷病死し、1名は7月20日に信太山演習場で処刑された。
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