二次墓地への再投棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:07 UTC 版)
「スレブレニツァの虐殺」の記事における「二次墓地への再投棄」の解説
概ね1995年8月1日から1995年11月1日の間に、遺体は一次墓地から二次墓地、三次墓地へと組織的に移動された。ICTYでの、ブラゴイェヴィッチ(Blagojević)とヨキッチ(Jokić)に対する裁判の中で、法廷はこの死体の移動・再投棄は、虐殺の証拠を隠滅するために行われたと認定した。法廷は、スルプスカ共和国軍の参謀によって命令され、ブラトゥナツ旅団とズヴォルニク旅団によって実行されたとした。 集団墓地から発掘される遺体の多くは不完全なものであり、手や足など、体の一部のみが見つかる事例が多い。これは、セルビア人勢力が事件の隠蔽のために集団墓地の遺体の場所を次々に移し変えたためである。見つかった遺体はDNA鑑定によって身元が特定され、埋葬に十分な量の遺体の各部分が集まると、毎年7月11日にポトチャリの記念館で埋葬が行われる。 セルビア人勢力による死体移動作戦は、後の遺体の探索と残留物からの個人の特定作業に直接的な影響を与えた。死体の移動と再投棄によって、同じ場所に投棄されていた遺体が分けられ、他の遺体と混ぜられ、それによって遺体の個人特定を難しくした。たとえば、あるケースでは、ある人物の遺体の残存物が、30キロメートル離れた2つの場所から発見された。拘束具と目隠しが現場から発見されたのに加え、遺体を隠そうとした活動があったことは、この虐殺が組織的性質を持っていることの証拠となった。更に、通常の戦闘による死者は隠蔽される必要がないため、この虐殺の犠牲者は、軍人が戦闘によって死亡したのではないことも明らかとなった。
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