二岡獲得を巡る騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:30 UTC 版)
1998年のドラフトでは、二岡智宏獲得を巡り、広島、阪神、巨人が争うことになったが、同年春から1位指名を公言した広島入団が確実視される状況であった。だが二岡はドラフト直前になって急転直下、巨人を逆指名したため、世間を驚かせた。 この選択は二岡の地元である広島で大きな反発を呼び、二岡の家族は地元を追われる形で引っ越しを余儀なくされる事態になったが、当時から巨人による札束攻勢がまことしやかに囁かれていた。 そして2012年3月15日の朝日新聞朝刊で、二岡の巨人入団の経緯が白日の下に晒された。最終的に巨人から二岡側に5億円+退団時の功労金7,000万円+出来高3,000万円が支払われており、さらに入団1年目の1999年度の年俸は、新人選手の一応の上限とされる1,300万円を遥かに超過する3,300万円であったこと、さらに当時の監督であった本川は、巨人から二岡獲得に伴う謝礼として、大学退職後に「アマチュア球界の情報収集業務委託料」の名目で2,000万円を受け取る覚書を交わしていた。 マスコミの取材に対して本川は、「監督を辞めた時に、監督時代の人脈を使ったスカウトや、情報収集ができると考えていた。このことについて二岡は一切知らない」と、二岡を庇う一方で、「大学職員を続けている間は、就業規則で兼業できず、巨人軍からの委託業務はしていない。大学職員として65歳まで働けることになったので、今後も巨人軍から委託を受ける気はない」、「あれ(覚書)を破ってくださいと(巨人軍に)一回でも言えば良かった」と弁明した。
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