事件の終息
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 00:05 UTC 版)
海外の論調は次第にこの旅順での事件のようなものは戦争ではつきものであって、欧米でも例がないわけではないという風に変化していったと、対応に当たった伊東巳代治は報告している。ただ事件が殺傷そのものがあったことが「虐殺」ではないことは認められ、アメリカにおける報道は無くなっていった。最大の懸案であったアメリカとの条約改正は、1895年2月5日にアメリカ上院で批准された。これは同時に明治政府首脳にとっての旅順事件の騒動の終焉を意味するものであった。4月17日には下関条約が締結されると有賀長雄はフランスに飛び、著作‘La Guerre Sino-Japonaise au point de vue du droit international.1886,Paris’(和名『日清戦役国際法論』)を刊行し、日清戦争及びこの事件が正当なものであると論じた。
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