事件の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 01:39 UTC 版)
1908年頃、徳川義親は養子に入った尾張徳川家で徳川慶勝の日記のうち慶応3年-明治元年分が欠落していて焼却された跡があり、また父・松平春嶽の日記でも同期間が空白になっていることに気付き、当時を知る旧藩士に質問しても事情を教えてもらえず、『三世紀事略』などの尾張徳川家の文献資料(蓬左文庫所蔵)から事件の存在を知ったとされる。このことは義親が徳川林政史研究所を設立する契機にもなり、義親は1976年に没するまで事件の研究をライフワークにしていた。死去の前年、義親は、事件について水谷盛光は丹念に資料を収集しているが事件が発生した理由が解明されていないと評し、事件は藩内の内紛ではなく朝命を受けた政治的謀略事件だったとしている。 なお、作家の城山三郎はこの事件をもとにした小説『冬の派閥』を1981年に連載している。
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