乗田原(のたがはら)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:36 UTC 版)
「丹後町の離村・廃村」の記事における「乗田原(のたがはら)」の解説
「三山」と「碇」の間に位置した。地名の由来は大野田原から転化し、高いという意味のある「乗」を加え、「乗田原」となったと言われている。行政区としては1947年(昭和22年)4月に乗田原は竹久僧と合併している。 集落の世帯数の推移は、1871年(明治4年)4戸、1960年(昭和35年)4戸、1965年(昭和40年)3戸に減少し、1969年(昭和44年)に廃村となった。藤井姓と上杉姓の人々が住んでいたという。竹藪の中にかつての住居跡の石垣が残る。廃村に至った原因は複合的なもので、丹後町内の近隣集落である「力石」集落が全戸離村したことや、碇高原総合牧場造成計画により京都府や丹後町(当時)から土地買収の計画を持ち掛けられたこと、平地に比べ悪条件下にある農業に代わり手機が基幹産業として成長したこと、子どもたちの高校進学に伴い、下宿代が必要となったことや医療面での不安などの理由によるものと言われている。 竹藪の中にかつての住居跡の石垣が残る。
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