久保田藩世嗣とは? わかりやすく解説

久保田藩世嗣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 16:54 UTC 版)

佐竹義直」の記事における「久保田藩世嗣」の解説

元和7年7月7日1621年8月24日)、江戸にて元服し彦次郎義直名乗る同年11月14日1621年12月26日)、将軍徳川秀忠御目見し、義宣の嫡子として公認される。 義宣が義直北家から引き上げたのは、この年で義宣は52歳になり、いまだ子無く健康面から今後実子望めず、無嗣改易脅威として迫っていたためである。近親異姓他家養子になっていないのが義直だけであったことも要因考えられている。 しかし嫡子としての義直は、義宣には頼りなく見えることがあったらしい。例え元和10年2月1624年3月)に家臣矢野憲重の跡式相続絡み義直下した判断重臣梅津政景がわざわざ義宣に問い合わせ、義宣は正反対判断下している。また、寛永元年7月1624年8月)、義宣が秋田から呼び寄せ義直傅役とした岡本宣綱が、翌寛永2年2月1625年3月)に病と称して帰国し短刀自傷して辞任するという一件もあった。義直仏像彫刻仏書傾倒し、宣綱の諌言に従わなかったためという説がある。

※この「久保田藩世嗣」の解説は、「佐竹義直」の解説の一部です。
「久保田藩世嗣」を含む「佐竹義直」の記事については、「佐竹義直」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「久保田藩世嗣」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「久保田藩世嗣」の関連用語

久保田藩世嗣のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



久保田藩世嗣のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの佐竹義直 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS