久保田藩士多賀谷氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 06:19 UTC 版)
佐竹氏から重経の養子となった宣家は、関が原の戦い後、佐竹氏に戻り、兄佐竹義宣の秋田転封に従い檜山城主となり、その後、宣家は出羽亀田藩岩城氏の家督を相続して亀田藩主を継いだ。 「秋田武鑑 全」によれば宣家の岩城家継承後の多賀谷家の名跡は、戸村家(佐竹氏一門)からの養子が継承し、久保田藩の家格引渡二番坐、十二大将の内、在所山本檜山の藩士として存続。 なお、享保から元文年間の須原屋版武鑑でも多賀谷峯経(左兵衛)が久保田藩家老に就任していた関係で『多賀谷左兵衛』で登場している。
※この「久保田藩士多賀谷氏」の解説は、「多賀谷氏」の解説の一部です。
「久保田藩士多賀谷氏」を含む「多賀谷氏」の記事については、「多賀谷氏」の概要を参照ください。
- 久保田藩士多賀谷氏のページへのリンク