主婦の店全国チェーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:48 UTC 版)
「マックスバリュ中部」の記事における「主婦の店全国チェーン」の解説
当社の前身のひとつが「株式会社主婦の店(1958-93年)」を社名としていた。また、別の前身のひとつが「株式会社白子主婦の店(1962-71年)」→「株式会社主婦の店(1971-81年)」→「株式会社主婦の店サンフーズ(1981-91年)」を社名としていた。
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主婦の店全国チェーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 08:18 UTC 版)
日本のスーパーマーケットの端緒である福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)の丸和フードセンター(現・丸和)の社長であった吉田日出男が、中小小売商の生協対策として1957年3月23日に設立したボランタリー・チェーン。吉田は「主婦の店運動」と銘打って全国を飛び回って提携を呼びかけ、この旗印の下で、売り場にレジスターが導入され、セルフサービスを採用したスーパーマーケットが、全国に展開された。シンボルマークとして「風車」を用いていたため、加盟企業のことを「風車系」と呼ぶこともある。 主婦の店全国チェーンは共同のテレビCMや、プライベートブランドの展開を行わないなど、あまり規模拡張施策を打たなかった。そのため、徐々にダイエーなど独自で全国展開を図る企業や、ニチリウグループやCGCグループ、オール日本スーパーマーケット協会等にも同時に加盟し地区展開を図る企業、ダイエーグループやジャスコグループ(現在のイオングループ)などの大手流通企業グループ傘下に入る企業が多くなった。また、加盟企業と出店エリア協定を取交わしていなかったため、本来は中小小売商の生協対策であったはずが、加盟企業同士による出店競争が激化してしまう自己矛盾に陥る状態となり、終焉をむかえた。 主婦の店全国チェーンは1998年7月に解散したが、店舗ブランドやシンボルマークである「風車」を現在も使い続けている旧加盟企業もある。
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