主任司祭が見たジュロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/31 08:24 UTC 版)
ジャン・セヴェザンは、1861年から1872年まで、ギミリオーの主任司祭を務めた。彼は帆布の商取引と染色で富を蓄えた農民、ジュロ(julod)についてこう記している。 『ギミリオーの住民と、隣接する教区の住民たちは本質的に誇り高い人々です。このため彼らは無知であり、彼らの無知さは、他のものを、自分たちの教会の聖職者以上のものを信じているのです。(中略)誇りと自尊心に加え、ほとんどのギミリオー住民を特徴づけるのは、貪欲であることと、自分たちの教会とその聖職者に対しても浅ましく貪欲なことです。教区には、教会の管理人に1サンチームすら与えないうえ、そのことを自ら賞賛する者がいるのです。彼らはさらに、聖人に対して何も寄進しないよう他人に助言するのです。彼らはこう言います、政府から十分に資金をもらっているのだから、聖職者というものは自分たちより豊かなのだと。彼らは教会が美しく飾り立てられると喜びますが、教会への貢献は拒否します。聖職者が最も教会を使用しているのだから、これは聖職者の仕事なのだと言います。あなたはこれを信じられますか?年に1800フランから2000フランの収入が入る教区民が、聖職者に募金として3枚のコインを渡すだけでも勇気を必要とするのです。復活祭後の説教において募金をすることは、少しも私に価値あることに思えなかったのでしょう。私は全てを私の助任司祭に託します。』
※この「主任司祭が見たジュロ」の解説は、「ギミリオー」の解説の一部です。
「主任司祭が見たジュロ」を含む「ギミリオー」の記事については、「ギミリオー」の概要を参照ください。
- 主任司祭が見たジュロのページへのリンク