中川秀直との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:08 UTC 版)
同じ苗字を持ち、同時に自民党党三役に入ったことがある衆議院議員・中川秀直とはしばしば比較されたが、両者間での血縁関係は無い。また、中川秀直の政治思想は昭一のそれとは対照的で、経済政策においては増税を先送りする、いわゆる上げ潮派。対外的にも親中派とされ、靖国神社に代わる国立追悼施設の建設を持論としていた。また、中川秀直は昭一が強く反対した人権擁護法案を支持していた[要出典]。 2006年(平成18年)、中川昭一の盟友[要出典]である安倍晋三は自由民主党総裁に就任、昭一を同党の政調会長、中川秀直を同・幹事長とした。 当初は文部科学大臣就任が有力視されていた昭一であったが、政治理念の多くを安倍と異にする中川秀直の幹事長就任が決定したことから、それへの牽制を考えた安倍によって急遽、政調会長に据えられたとも言われた[要出典]。 政調会長となった中川昭一は、北朝鮮政策に関する党内議論などを一任されたものの、安倍や昭一らとは理念が異なる中川秀直の幹事長就任は、その後の安倍政権運営の躓きの発端であったともいわれ、思想家の藤原正彦や政治評論家の屋山太郎などは「中川秀直を幹事長から解任すべき」と提言していた。郵政造反組復党問題に際して中川昭一は、造反組に反省と総括を要求する中川秀直と衝突、「まるで天安門事件のよう」と評した[要出典]。
※この「中川秀直との関係」の解説は、「中川昭一」の解説の一部です。
「中川秀直との関係」を含む「中川昭一」の記事については、「中川昭一」の概要を参照ください。
- 中川秀直との関係のページへのリンク