中央政府の遷台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 09:20 UTC 版)
南京が共産党軍によって陥落する直前、蔣介石を中心とする国民党勢力の一部は、アメリカ政府内右派の援助を受けつつ、中央政府を広州へ移転させた。中央政府は中華人民共和国開国大典が開催された1949年10月1日時点で未だ広州に留まっていたが、戦局の悪化に伴い中央機構を重慶、次いで成都へと移転させ、最終的に台北へ移転した(中華民国政府遷台)。 中央政府の遷台後、1950年1月に蔣介石が中華民国総統に復職し台湾国民政府として政権を立て直した。中国の唯一合法政府を自任する台北の中華民国政府と北京の中華人民共和国政府の対立は続き、本格的な武力衝突は1950年5月の海南島戦役(中国語版)終了まで続いた。その後、散発的な軍事行動として金門砲戦や大陳島撤退作戦が起こったものの、1979年1月の米中国交樹立以降は武力衝突が発生していない。
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