中央政府の官職として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 03:37 UTC 版)
西周が始まった時、三公を最高官とし、それに次ぐ位として六卿を置き、特に司徒、司馬、司士、司空、司寇を五官と呼んだ。司馬は軍政と軍務を司った。春秋戦国時代、楚は「令尹」と「大司馬」の二職を置いた。《春秋左氏伝》によれば「司馬將中軍、令尹將左、右尹子辛將右過申。」等とあり、どちらにも軍権があった。軍の統制はその時の状況次第で、制度としてはそれほど厳格ではなかった。漢の武帝は大司馬を置き、さらには「大司馬将軍」のような付加号ともした。他にも武帝は大将軍と同格として驃騎将軍を定めたりもした。後漢では大司馬は太尉と名が改められた。隋・唐以後の三省六部制では兵部尚書の別称(雅称)として司馬が用いられた。
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