中央官制、税制と地方行政組織
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:29 UTC 版)
「奈良時代」の記事における「中央官制、税制と地方行政組織」の解説
大宝律令の制定によって、律令制国家ができあがった。中央官制は、二官八省と弾正台と五衛府から構成されていた。地方の行政組織は、国・郡・里で統一された。里はのちに郷とされた。さらに道制として、畿内と東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道に区分され、その内部は66国と壱岐嶋・対馬嶋の2嶋が配分された(令制国一覧参照)。軍団は各国に配置され、国司の管轄下におかれた。また田と民は国家のものとされる公地公民制を取り入れ、戸籍により班田が支給された。税は、租庸調と雑役から構成されていた。 742年(天平14年)大宰府を廃止。翌年、筑紫に鎮西府を置いたが、745年(天平17年)には太宰府が復された。 東北地方では多賀城、出羽柵等が設置され、蝦夷征討と開発、入植が進められた(既述)。
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