中国海軍による日本軍兵営への艦砲射撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 08:50 UTC 版)
「尼港事件」の記事における「中国海軍による日本軍兵営への艦砲射撃」の解説
3月12日、後藤大尉隊は、早めに兵営を出て街の東方のはずれにある監獄をめざし、捕らえられていた人々を解放しようとしたが、守備が厳重で果たさなかった。あきらめて、本隊に合流しようと市中を進むうちに市街戦になった。戦闘相手の中心は、リューリ商会とスターエフの事務所に宿営していた中国人、朝鮮人からなるパルチザン部隊だった。路上の後藤大尉隊は、建造物を占拠しているパルチザンから狙い撃たれ、手榴弾を投げられるなどで苦戦し、生き延びた30余名がアムール河畔の憲兵隊に合した。 3月13日、中国軍砲艦による砲撃で日本軍兵営を悽惨極めるほどに破壊された。憲兵隊と合した後藤隊の生存者は、砲撃してきた中国軍砲艦目がけて突撃して全滅したと思われると香田昌三一等兵は書きとめている。11時には2月7日の戦闘で重傷を負った榊原海軍機関大尉が陸軍病院で息を引き取った。 払暁、水上大尉隊は包囲を突破して兵営に帰ることに決し突出し、水上大尉は戦死したが、20名ほどは河本中尉の指揮で無事帰り着いた。海軍部隊も攻撃に出た者はほとんどが倒れ、わずかな人数が領事館に帰った。
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