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なか‐かずや【中一弥】


中一弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/06 03:50 UTC 版)

中 一弥
1955年、東中野モナミにて
生誕 中 福寿
(1911-01-29) 1911年1月29日
大阪府北河内郡大和田村〈現・大阪府門真市
死没 (2015-10-27) 2015年10月27日(104歳没)
三重県津市
国籍 日本
著名な実績 絵画
受賞 長谷川伸賞(1971年)
菊池寛賞(1993年)
勲四等瑞宝章(1996年)
吉川英治文化賞(2014年)
活動期間 1929年 - 2015年
影響を与えた
芸術家
小田富弥
さいとう・たかを

中 一弥(なか かずや、1911年1月29日 - 2015年10月27日)は、日本挿絵画家。本名は中 福寿(なか ふくじゅ)[1]

人物

大阪府北河内郡大和田村(現在の門真市)出身。

山本周五郎藤沢周平海音寺潮五郎池波正太郎山手樹一郎野村胡堂などの作品、主に時代小説挿絵画家として多くの作品を残す。小説家の逢坂剛は三男で、その作品の挿絵も手掛けていた。

年譜

小学生の時、栄養失調により右目を失明[2]

1927年、挿絵画家の小田富弥に入門。1929年、小田富弥の推薦で直木三十五の新聞連載小説「本朝野士縁起」の挿絵を描きデビュー。

1971年、第6回長谷川伸賞受賞。1993年、第41回菊池寛賞受賞。1996年勲四等瑞宝章受章。

2009年2月16日より連載された、朝日新聞全国版の朝刊小説「麗しき花実」(乙川優三郎作)の挿絵を担当する。主人公の蒔絵師「理野」のイメージとして、ZARD坂井泉水をモデルとした、と朝日新聞全国版2009年2月19日付「ひと」欄において述べている。「理野を描く時は、いつも泉水さんのことが頭にある。写真を見て憂いを含む顔に心引かれまして。」と記事には掲載された。

2014年、第48回吉川英治文化賞を受賞。

2015年10月27日津市内の病院で肺炎のため死去[1]。104歳没。

参考文献

脚注

  1. ^ a b “中一弥氏死去=挿絵画家、作家逢坂剛氏の父”. 時事ドットコム (株式会社 時事通信社). (2015年10月30日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201510/2015103000813&g=obt 2015年11月2日閲覧。 
  2. ^ 「やりたいこと、まだまだ」 挿絵画家・中一弥さん100歳に 朝日新聞 2011年2月8日

関連項目



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