両国首脳の会談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 07:15 UTC 版)
イギリスで危機が沸騰しつつあるころ、マクミランとケネディは緊急会談をナッソーで開いた。12月18日夜、マクミランとケネディは彼ら自身だけで歩きながら個人的な会話を交わした。その日の朝、ロンドンでは保守党下院議員の3分の1近い103人が、イギリスが独立した核戦力を維持することを確約するようマクミランに要求する提議に署名していた。 翌日、会談冒頭の報告で、マクミランは原子爆弾の開発へのイギリスの貢献を述べ、アメリカが止めようとしてもイギリスは独立した核戦力を持ちつづけると断言した。アメリカが技術共有の合意を引き上げれば、まさにマクナマラを悩ませる問題であるところのイギリスの核戦力の完全な独立となるであろう。 ほどなくして、イギリスがポラリスを購入し、イギリス製の弾頭を装備するが二重の鍵はなしとするという新たな案が考え出された。空軍から海軍へ大幅に管理が委譲されるとはいえ、イギリスは独立した抑止力を維持する。ポラリスは、イギリスの必要性に対してより適したシステムであり、大きな「特ダネ」であり「世紀の大安売り」とも言われた。イギリス空軍はWE.177(英語版)核爆弾を装備したV爆撃機、後にトーネード IDSによる戦術核能力を維持した。 イギリスに多角的核戦力を強要するというアメリカ本来の政策は、ポラリス売却の決定により失敗したことが明らかになった。痛打を受けたケネディは、この一件に関して詳細な報告をするようリチャード・ニュースタットに依頼し、教訓を学んだ。ジャクリーン・ケネディ・オナシスは、ケネディが最初のリポートを読み次のようにコメントしたと回想している。「私の人生がどんなものか知りたければ、これを読むことだ」。後に、リポートは1990年代に機密解除され、Report to JFK: The Skybolt Crisis in Perspectiveとして出版された。
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