両国間の会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 07:32 UTC 版)
締結に向けた会議は、清国側は袁世凱、日本側は小村外務大臣の両国全権委員の間で進められた。1905年11月17日からの計20回の会議で、多く議論された議題は日本軍撤退問題であった。清国の主な要求は、軍の撤退期間の12ヶ月への短縮と鉄道守備兵の撤退であったが、日本国としてはポーツマス条約に抵触する内容であり、軍の早期撤退と鉄道守備隊の撤退は譲れなかった。日本の小村外務大臣は、講和会議においてロシア帝国が鉄道守備兵の名のもとに多くの兵を留めようとしたことからも、鉄道守備兵の撤退は了承できないとし、仮に日本軍の早期撤退が可能であるとしても、この条項についてはポーツマス条約の規定に反するとして退けている。
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