世阿弥の養子に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 02:01 UTC 版)
実父は世阿弥の弟四郎。この四郎については詳しい来歴は知れず、諱も清信とする後代の伝書、元仲とする近世の系図、久次とする説など一致を見ない。世阿弥・音阿弥という天才の間に埋もれた「殆ど見るべきものの無い存在」と見る向きもあったが、世阿弥から著書『風姿花伝』を相伝されたことが分かっており、最近では観世座の脇之仕手として兄を支えて大夫にも匹敵する活躍をしていた人物と考えられている。子の大成後はそのワキも務めたようだ。 音阿弥の少年時代については不明だが、「三郎」の通称は祖父の観阿弥、伯父の世阿弥も使用したものであり、これを継承していることから、幼くして伯父・世阿弥の養嗣子になっていたと考えられている。間もなく世阿弥には実子の元雅が生まれるが、音阿弥の元服に際してこの「三郎」の名を与えたことからも分かるように、世阿弥は観世座の後継者として音阿弥を考えていた時期があると思われる。 その期待に応えて成長した音阿弥は、20代前半の応永20年代からその活動記録があり、若くして観世座の次世代の担い手として活躍を始めていたことが分かる。
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