世田谷区長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:22 UTC 版)
「2011年世田谷区長選挙」も参照 2011年4月6日、記者会見を開き世田谷区長選挙への立候補を表明。なお区長選への出馬に際し、社民党を離党した。区長選には5人が立候補したが、保坂は社民・国民新・新党日本・生活者ネットの4党による支持に加え、隣接する杉並区の区長田中良らの応援も受け、83,983票を獲得し初当選した。なお、候補者氏名を記入する投票による選挙で保坂が当選するのは、これが初めてである(衆議院議員3期は比例代表で当選)。2014年の2014年東京都知事選挙では、脱原発を公約した細川護熙を評価した(落選)。なお、23特別区の区長は、22人までが当選した舛添要一を支援しており、舛添を支援しなかったのは保坂だけだった。 2015年の区長選挙では、政党からの推薦・支持は得ず、民主、共産、社民、生活者ネットの実質支援を受けて臨んだ。自民、公明、次世代推薦で、舛添知事の支援を受けた久保田英文との一騎討ちとなったが、久保田の得票および自身の前回得票の2倍を上回る196,068票を獲得した保坂が再選された。保坂は2019年の区長選挙でも、自民推薦の世田谷区議会前議長の女性候補との一騎打ちを大差で制し3選を果たした。
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