与板組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 15:29 UTC 版)
直江兼続の直臣で構成、組名は与板衆に由来。 森氏(後に侍組平侍に昇格、改易)森直義=利真(森平太夫の次男) 奥山氏(藩内25石)遠江国引佐郡井伊谷の奥山氏の後裔。代々、板谷将を勤めた。 奥山大膳利英-利親-利継-利俊=利治(宮曽根平左衛門次男)=利述(中里源右衛門次男)-利雄-利昌=利仁(須田忠利次男)-利貞 小見氏(藩内25石)成田氏家臣の小見源左衛門の後裔で、小田原征伐後は上杉氏憲とともに信濃国更級郡へ落ち延びた。その後は直江兼続の取次により与板組へ組み入れられ家臣となった。 小見源左衛門昌長-元長−長昌=忠広(小見又兵衛甥)-忠宣-能忠-以忠-親忠-親純-親民 小野里氏(藩内25石)成田氏家臣の小野里刑部の後裔で、小田原征伐後は上杉氏憲とともに信濃国更級郡へ落ち延びた。長保は藩にて鉄砲砲術の武衛流を広めた。菩提寺は米沢市城西の浄土真宗養善寺。 小野里内記-吉房(内記次男)-勘兵衛-吉政=吉兼(西条綱朝三男)-吉光=吉重(針生市右衛門長男)=久長(窪田瀬兵衛長男)-長保-貞規-貞利-貞幹
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