不受不施派との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 20:08 UTC 版)
日蓮宗の中でも不受不施派と呼ばれる集団は、日蓮宗以外の者から布施供養は受けるべきではなく(不受)、信者ではない者に布施供養を施してはならない(不施)、という立場を取り、日蓮宗の信者ではない江戸幕府に従う事を拒否し、寛永7年(1630年)の身池対論(不施不受の影響下にあった池上本門寺とこれに批判的な久遠寺の代表が江戸城内で論争を行った事件)以降、同派はキリスト教と同様に禁止・弾圧政策が取られたが、その後もいくつかの寺院は不施不受を貫いた。ところが、寛文印知にあたって寺領の安堵を受ける事を巡って寺領の安堵を拒否する意見と寺領は慈悲であって布施ではないとする意見に分かれ、前者を取った寺院はこれを口実に弾圧の対象とされた。後者は悲田派と称されて存続が許されたが、結局元禄4年(1691年)に改めて不施不受が全面禁止となった際に改宗をさせられることになった。
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